【ペリーの『日本遠征日記』】
ペリーの『日本遠征日記』によると、伊勢海老などの魚介類や豆腐料理など、三汁七菜の豪華な饗応料理も、ペリーの口には合わなかったようだ。「数回のもてなしを受けたが、いつも同じ性質のもので、美食の点においては、日本人や中国人よりも、琉球人の方に私は軍配をあげる」としている。ペリーの方も、幕府側を招いて饗応の場を設けている。旗艦「ポーハタン号」上でのディナーでは、牛、羊、塩漬けの魚、ハム、野菜、果物に加えて、ワイン、シャンパン、リキュールなどを惜しみなく供した。ペリーは、「私が出した正餐は、幕府側の二○倍はあったろう」と振り返っている。ところが、この大量の料理は「魔法のように消え去った」という。それは日本の役人たちが大食漢ぶりを見せたせいだけでなく、彼らが、食べきれなかったものを紙にふところたとうがみ包み、懐に入れて持って帰ったためだった。当時の日本人たちは、「畳紙」と呼ばけいこうれる紙を携行し、何かを書き留めたり、鼻をかんだり、包み紙にしたりと、いろいろな用途に使っていた。食べきれなかった料理をそのままにしておかず、紙に包んで持ち帰るというのは、当時の日本人には当然の行動だったのである。ペリーが日本側のもてなしを受けた時にも、艦に持ち帰りたいものは何でも包むようにと畳紙を持ってきてくれて、食べきれなかった砂糖漬けの果物やカステラ風の菓子を包んで自分たちに渡しなどた、と『遠征日記』に記している。その場の和やかさが伝わってくるようなシーンである。
ペリーの『日本遠征日記』
ペリーの『日本遠征日記』
Recent Posts
Categories
Archives